こいのぼりを捨てました。私は、断捨離とはなんぞや、と考えなくても、モノを捨てたらこんな気持ちになるんだ、こんなこと考えるんだ、という発見が大好きです。まるで大航海時代のコロンブスのような気分です。
私がこのこいのぼりを今まで捨てようとしなかった理由は、元妻に育ててもらっている二人の子供達との繋がりを保つ「モノ」であったからだと思います。
あまり使わなかったので、思い出はすでに記憶から消えています。というか、五月人形は飾りましたが、こいのぼりは泳がせる場所がありませんでした。
しかしこいのぼりを購入したときの、自分と元妻の思いというのは考えなくても想像がつきます。その気持ちがこの鯉には詰まっていたはずなんです。
私は今まで何とか他力で人生を歩んできましたが、袂を分かれた元妻はすごく頑張っていましたし、しっかりした人でした。「頑張っていた」と回想している時点で、あまり力になって上げることができなかったのだろうと思います。
こいのぼりを見ながらそのようなことを考えましたが、最後に私に色々考えさせて役目を終えたのではないでしょうか。
今は一人なので自分がやりたいことをやってみようとチャレンジしています。そのためにちょっとだけ頑張って、介護の仕事の資格を何個か取得してよいタイミングで退職しました。
このブログでも目的が大切とよく書いていますが、子供達にもつながるであろう事を目的としています。はじめたばかりですが根気が一番大切みたいです。
40歳にして自分軸が明確になってきて、道がはっきり見えてきたという感じでいます。分かれ道で迷うことがに少なくなった、という言い方のほうが良いかもしれませんね。ゴールをイメージできている感じです。
ちなみに、あのピータードラッカーでさえ、自分の進むべき道は30歳を過ぎるまで分からなかったと言っています。
節約や、断捨離をしていて、自分に甘いのは、自分を大切にしているからではないとあらためて気付きました。やはり厳しさの中に優しさはあっても、甘さの中には優しさはないのですね。
どれだけ自分に厳しくできるか、これも目標として設定したいなと思います。節電頑張っていますが、甘くしたらすぐおやつ買ったりしてしまいます。
実は、「このこいのぼりを捨てるのか」と思ったとき、今が「人生の変化の時」なんだと感じました。もっと正確に言えば、捨てる前からそう思っていたけど、捨ててみて確信したと言ってもいいかも知れません。
破棄して後悔はしないかより、「捨てて良いものなのか」というい思いの方が大きかったです。それは思い出があるからとかでなく「つながっている」と思っていたから、だからこれはとっておくものだという考えでいました。
でもそうではなかったんだと今ならわかります。矛盾する言い方かも知れませんが、捨てても何もかわらないのですね、時間軸において実は捨てた事に大きな意味はないのだと思います。
ただ自分軸には大きな意味と変化があったと思います。忘れるでもなく、つながりがきれるでもなく。新しい未来を創る為の大きな前進だと思います。
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