一人暮らしの食器は極端に少なくて済みます。断捨離も、私が「ときめく」かどうかで捨てれば良いかもしれないと思い始めました。なので方法としては簡単です。あのときの引越しは大チャンスだったのですが。
クローゼットの中に引越しマークのあるダンボールがあるので、それを断捨離することにしました。重ねているので見た目整理整頓しているように見えるのですが、何が入っているのかある程度しか想像できません。
ダンボールを開けてみると、こんなものがあったのかとびっくりしました。大きな重たい食器を私は使いません。というか、使う用途がありません。こんまりいわく、ときめかない。
今回はただ捨てるより、リサイクルショップに持っていこうかと思っています。なにやら良い感じに焼いてある皿もあるので、少しはお小遣いになるかとちょっとウキウキしてます。
捨てるときの判断基準を調べ、1.使う可能性がある。2.使わないもの。3.時代遅れな食器である。4.趣味ではない。5.欠けていて危険。の5つをポイントに選びました。
ですが、一人暮らし故のわびしさでしょうか、全て使わないものチームに決定しました。なんの為に5つのポイントを調べ、よし、断捨離やるぞ、と気合を入れたのか分からない状況で終了です。
奥にまだダンボールがあるのですが、それも食器だと思うので、それも全て破棄になる可能性が大いにあります。
断捨離実践記事はこちらで読めます→断捨離を実践するなら書籍の通りやるのも1つの方法です
実は、引越しした時のダンボールのままクローゼットにしまい込んでいました。なので手付かずのままです。
しかも一人暮らしの私では、全く不要なものになっています。同じガラスコップやコンビ二の懸賞の皿とか。
今の住まいに来るときに断捨離して捨てまくればよかったのですが、そのときは身軽になると心も軽くなるとは夢にも思っていませんでした。
結局捨てる事になるなら早い方が良かったですよね。いつまでも使うことなく、ただしまい込む事に何の意味があったのかと凄く思います。
ただし、後悔はしていませんよ、ポジティブ思考ですからね。今こうやって捨てていることに大きな意味が隠されています。それはきっと私にとって変化の年だからだと思います。
気持ちが高ぶるよう高低差をつけて、より変化がわかりやすいようにと、この食器たちは残っていてくれたのです。
そこに気付いたのなら後は私の行動力、前進力、忍耐力を総動員して頑張るしかありません。
このブログを始めて1ヵ月ちょっとですが、ずっとあそこにはまだ捨てるものがあるはずだと思いながらも、手を付けるのをためらっていたのですが、とうとう開かずの扉を開けてしまった感じです。
それはたぶん気持ちの変化が自分自身で分かるからだと思います。もしかしてこれが「ときめく」かどうかという事なのでしょうか。
それなら全くときめいてません。でもまだ不安はあります。このときめいていないという心境は、ただ単に、彼女がいないからならば、きっと後悔するでしょう。
その可能性も残っているわけだから慎重になる必要があります。とにかく捨てるときは納得することが大切です。
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